世界中からあらゆる人やものが集まるアメリカ。そんなアメリカで挑戦したいけれども、いきなり飛び込んで通用するのだろうかと不安に思う人もいるのではないでしょうか。
リクルート退社後ニューヨークへ渡り、カラオケ文化をアメリカで広めることに成功したKaraoke Champ Inc.の木田マイクさん。
英語が苦手で、起業経験もなしというスタートからカラオケ事業を展開。ニューヨークは自分を成長させる場だと語る木田さんに、ニューヨークで事業展開する秘訣を、PRライター山崎春奈がお伺いしました。
夢を持ってニューヨークへくるなら、「最初の半年」を乗り越えろ
───もともと、ニューヨークに行くきっかけは何だったのでしょうか?
木田マイク(以下、木田):大学生の頃にバックパッカーで世界中を旅したのですが、それから海外に行きたいという想いがずっとあったんです。
というのも、そのとき、日本と世界各国では大きく常識が違い、毎日のように出会いと別れがあり、まるで1か月が一生に感じるようなすごい充実感を得たんです。
その後、新卒でリクルートに入社しました。入社4年めには部内営業トップ成績をあげることができ、「営業としては一通りやりきったな」と感じたんです。そこで、自分の人生について改めて考えるようになりました。
「もう1回、人生をやり直すなら何がしたいだろう」と考えたとき、「俺、好きなことやってお金稼ぎたい。アーティストになって幸せな生活送りたい!」と思ったんですよ。
バックパッカー時代、一眼レフで写真撮っていたことがあるので「フォトグラファーになら、なれるかも!」なんて軽い気持ちで、思い切って4年間お世話になったリクルートを辞めました(笑)
そして、家族を連れてニューヨークの芸術大学への留学を決めたんです。ニューヨークにした理由は、当時すでに妻子がいたので、夫婦どちらも仕事が見つかりやすいようにということでした。
ニューヨークには、アメリカの中でも、いろんなチャンスが集まる街というイメージがありましたしね。
今は、もうニューヨークに住んで20年以上ですが、きた当初はまさかこうなるとは予想していなかったですね。くるまでは、ニューヨークは正直「怖い」と思っていたんです。
でも、実際にきてみると、銃声の音もまったく聞かないですよ。ニュースになるのは、とびきり大きな事件なので、日常がどんなものなのかは、きてみないとわからないものですね。
───はじめてのニューヨークだったんですね。慣れるまで大変だったのでしょうか?
木田:そうですね。生活も慣れない、街は汚いし、知らないことばかり、しかも言葉は通じない。大変でした。
今でも、若い人たちが何か夢をもって日本からくることもありますが、最初の半年〜1年がそれらを乗り越えるために試行錯誤する大変な時期だと思います。
ニューヨークにきたものの、帰国しようかと悩んでいる、という人たちには「その時期を乗り越えるかどうかで、見える世界がまったく変わるよ」と、いつも伝えているんですよ。
わたしの場合、留学して半年たったころ、お金が底をつきそうになったんですね。そこで、広告営業のアルバイトを始めました。カラオケボックスのオーナーへ営業に行ったときに、「カラオケ屋は儲かるぞ」と話を聞いたのが、今のカラオケ事業設立に惹かれたきっかけです。その後、すぐにアメリカのカラオケ事業について調べました。
当時は、意外とカラオケ店って少なく、競合環境もない。「これならいける!」と思ったんです。でも、事業の資金がなくて。
そこで、当時、家族で住まわせてもらっていた家の日本人大家さんが、いつも経営者としておもしろい話をしてくださっていたので、何かアドバイスをもらえないかと相談をしたんですね。そしたら、なんと、「木田くんなら2000万円までなら投資してもいいよ」と言ってもらえたんです。
それから「会社設立するためにどんな手続きをすればいいのか」などを具体的に調べました。アメリカは1万円ぐらいあれば会社設立自体は簡単にできちゃうんですよ。しかも、わたしは学生ビザできていましたが、学生ビザでも会社設立ができるんですよね。
最初は「まさか学生で会社なんてつくれるわけがない」と思っていたんですが、ちゃんと調べてみて、はじめて気づくことも多いのですね。夢を追いたいみなさんも、無理だろうと決めつけずに、可能性を探ってみてほしいです。
ニューヨークは、コネがなくても「いいサービス」が認められる場所
───ニューヨークでの会社設立後、すぐにビジネスが拡大したのでしょうか?
木田:いいえ。実は、大家さんからの投資はお断りすることにしたんです。
わたしの母親は経営者なので、経営の先輩でもあるのですが、その母に会社設立の報告の電話をしたらえらく心配されて。「商売経験もないくせに、人にリスクを負わせて商売するな。やりたいなら自分が稼いだお金でやりなさい。」と。
はっとしました。経営するうえでもっとも大事なことを学んだ気がしますね。大家さんの投資をお断りすることにしてからも、ほかのチャンスはないかと諦めず、探しました。
あるとき、日本の新聞広告を見ていたら、中古レーザーディスクの販売が目についたんです。カラオケ店を調べまわっていた経験があったから、カラオケ店には傷ついたディスクがたくさんあるはずだと気づいたんです。
この気づきができたのは、自分の目で現場を確かめていたからです。どんな行動からも得ることは必ずあって、後で役に立つときがくるものです。
そうして、日本の中古レーザーディスクをアメリカへ持ってきて販売する、カラオケディーラーの仕事を始めることにしました。ニューヨークにきてからは大変なことも多く、帰国しようと思ったこともありましたが、ようやくスタートラインに立った気持ちで、とてもうれしかったですね。
チャンスは待っていてもこないんです。でも、動けばくる。たとえ1度や2度、逃してしまっても、諦めず視点を変えてチャンスを自分から探していくこと。それがビジネス拡大に重要な姿勢です!
───ニューヨークで事業展開となると、言語や文化の壁に不安を感じる人も多いですが、何か工夫されていたのでしょうか?
木田:日本の場合は、人づきあいやコネが大事なこともありますが、ニューヨークでは、いいもの、いいサービスを提供すればお客さまはついてくるんですよ。だから、きめ細かなサービスを怠らないことを意識していました。
ニューヨークで事業拡大していくためには、日本人以外のお客さまもターゲットにしないといけないじゃないですか。
英語の曲をどこの店よりも多く入れる、毎月新しい曲を入れるなど、期待を越えるサービスをくり返していくうちに、今では9割以上のお客さまが日本人以外になりました!
だんだんアメリカ人のお客さまの比率が増えていくのを見るのは、自分の成長を見ているようで、嬉しかったですね。
もし、言語や文化の違いを不安に感じるなら、アメリカ人と補い合えばいいと思いますよ。実は、わたしは英語がかなり苦手だったんです。高校の成績はずっとクラスで下から10番以内でしたから。今でも英語に自信があるわけではないですし。
自分の力だけでやろうとするのではなく、できる人とうまくつき合うようにするといいですよ。わたしの場合は、お店のスタッフがほとんどアメリカ人なので、彼らに助けてもらっていることも多いんです。
失敗したらやり直すだけ。「こうじゃなきゃいけない」は、ここにはない
───いいものやサービスは認めてもらえる。木田さんがニューヨークで挑戦しつづける理由はそこにあるのでしょうか?
木田:そうですね。いいものやサービスは認めてもらえるという以外にも、ニューヨークには「自分らしい自分を受け入れてくれる」という安心感もあります。
すべての人がすべての機会を与えられるといいますか。求めて動けば、道が開けるところだと感じています。
日本では珍しいですが、30歳で大学に入り直す人も少なくありません。大学で途中から専攻を変えたりすることもできるんですよ。「こうでなければいけない」という決まった価値観がないんです。年相応なんて線引きもなく、自分を思い切り試せる場所です。
だから、ニューヨークにいると、生き方は無数にあるということを実感します。やりたいことに対して周りがとやかく言うことがないので、進む道を自分で選んでいける。
ニューヨークでは、今の生活が窮屈だったり、夢を持てない環境だと感じていると「違うことしてみたら?」と言われます。どんな結果であっても、あなたが選んだ道ならいい、失敗してもいいじゃないかっていう文化なんですよ。
だから、わたし自身、今の事業が失敗することは恐れていません。ダメだったらもう1回やり直せばいいですからね。
───最後に、これからニューヨークで挑戦しようとしている人へのアドバイスはありますか?
木田:まず、とにもかくにも、ニューヨークへくることですね。日本人ってとても勤勉で、信頼できるし、何でもできると思うんですよ。だから、日本人には海外でどんどん活躍してほしい。
その壁が、英語や経験不足だとしたら、もったいないです!そんなことを気にするよりも、ニューヨークへきて、今の自分を試してみてください!きっと、肌で感じることが、たくさんあると思うので。
それに、ニューヨークまでこようと思う人であれば、ある意味、頭1つ出ているので、その時点で生きていけますよ。確かに、1日1日は大変かもしれない。いろんな夢を持ってニューヨークへきて、それが敗れてしまったり、ビザの関係で帰らないといけなくなった人も見てきました。でも、それも数十年の期間で見たら必ず大きな財産になります。
日本に住んでいても、10年後のことはわからないじゃないですか。それなら、思いきって飛び出してみましょう。あなたが声を発し、行動で示せば、必ず誰かが反応してくれるのがニューヨークという街ですから。
<インタビューを終えて>
みなさん、はじめまして。今回取材をさせていただいたPRライターの山崎春奈です。
ゼロからのスタートでニューヨークへ渡り、言語や文化の壁があっても、どんなチャンスや選択肢があるのかを調べまわっていた木田さん。妥協しない努力と、丁寧さがあったからこそ、結果がついてきたのだと感じました。
何かに挑戦しようとするとき、スキルがない、経験がないと、ないものばかりに目がいってしまいがちですよね。でも、自分が声を発すれば応えてくれるのがニューヨーク。だからこそ挑戦できる。
みなさんも、等身大の自分で挑戦してみてくださいね!
(取材・執筆:PRライター 山崎春奈/編集:吉川実久)
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